「もえつき」の処方箋 読了③

どうも

心理学勉強中のノブです

 

しばらく、前回の読了②から期間があいてしまいました。

それでも私のブログを読んでくださる皆様に感謝いたします。ありがとうございます。

 

Twitterでしばらくブログ、ツイートの休憩時間をいただくとご報告させていただいていておりました。

プライベートでバタバタとしていまして

しばしお時間を頂いております

 

今現在も整理がついておらず、少しではありますが回復しながらも、心に整理をつけている状態です。

完全復帰にはもう少しのお時間を頂きたいと思います

私のワガママではございますが、ゆるく見守っていただけると幸いです。

 

前回から時間も空いているので読了①から続けて読んでいただけると幸いです

それぞれが少し長めの内容となっていますので、お時間許される時に読んでいただければと思います。

 

前回は境界線のお話まででした

今回は境界を守ること、その守る際に自分にかける言葉が書かれています。どうしても真面目で断れない性格、懸命に頑張ってしまう方々に是非、参考に頂きたい言葉かと思いますので、少しブログとしては長いのですが、今後の皆様のお力になる内容かと思いますので、今は少し長くとも、悩みの改善の近道にはなるのかなと思いますのでよろしくお付き合いいただければとおもいます。

では読了③を進めていきたいとおもいます。

 

境界を守る

 

境界を守ることとは

 

「身体の境界」

・自分を消耗させるほど仕事をしない

・疲れたらやすむ

・自分のために安心できる場所がある

 

「感情の境界」

・相手の感情に無理に合わせたり引きずられない

・自分の感情を偽ったり隠したりしなくていい

・こう感じるべきではないと自分を責めなくていい

 

「責任の境界」

・他人の負うべき責任まで引き受けなくていい

・一人で大きな負担をかかえずに責任を分担する

・重すぎる責任は、軽くしてくれるよう交渉する

 

「時間の境界」

・時間をどう使うかは、自分で決める

・自分だけのための時間を持っている

 

三者にこの境界を越えられたり、断ることができずに自分の境界内に侵入させてしまう、自然と許してしまっているなど。もう一度客観的に境界とは何かを理解する必要があるのかと思います。

 

他人の責任まで引き受けていないか?

相手の責任を肩代わりしていないか、同僚のミスを引き受けていないかなど、見直してみることも大切です。

○「あの人の問題は、あの人の責任。私は自分のことに責任を持つ」

しっかり境界線を引いてしまいましょう

 

一人で抱え込んでいないか?

重すぎる責任を一人でかかえると、しだいに不満がたまったり、イライラがつのります。私だけが辛い目にあっている!僕はいつも損な役回りばかりじゃないか!…

こういった事は前向きに仕事をし断ることに抵抗のある方に多いのかと思います。

○「私一人でがんばる必要はない、みんなでやろう」

と気持ちを切り替えることが重要です。

 

自分を犠牲にしていないか?

自分のやりたいことを犠牲にして、他人のために一生懸命になっていませんか?「いい人」ばかりやって、相手につけ込まれていませんか?

誰かを喜ばせようとして、自分にとって必要なことを後回しにしていませんか?

そのうち、後回しにされた「自分」が悲鳴を上げ始めます。こんな毎日にはうんざり!

○「私は人の面倒を見る前に、しっかり自分の面倒を見る」

なにか引き受ける時には一度、深呼吸をしこの言葉を思い出し、境界をしっかり見つめ直すのが大切なのかなと思います。

 

自分の限界を知っているか?

無理なスケジュールになっていませんか?

忙しさに慣れて、疲労やストレスに無感覚になっていませんか?

どこまでもへこたれず、疲れ知らずで頑張っているのが「いいこと」だと思っていませんか?

自分の黄色信号を知っておきましょう

なかなか眠れなくなる

なかなか起きれなくなる

食欲がなくなる

やけ食いを始める

早口になる

無口になる

怒りっぽくなる

愚痴っぽくなる…

人によって様々です。常に自分の体の調子に意識を向けておくと自然に今日は調子がいいなと気づき始めます。

自分に意識を向け黄色信号を知りる事が大切です

○「私は自分の限界を知っている。体と心に必要なだけの休憩をとる」

こ自分に声をかけて上げましょう

 

「べき思考」に縛られていないか?

「この方法でやるべきだ」「あの人はこうすべきなのに」と、物事を決めつける考え方をしていませんか?「こうするしかない」と思っているときでも、必ず別の方法だってあるものです。だから、こうするしかないのではなく、「私はこれを選ぼう」「このやり方が好きだ」「よし、これで行くぞ」と宣言する方法もあります

○「私はこうしたいからする。他の人には他のやり方がある」

そう言い聞かせ「べき思考」から離れてしまいましょう

 

周囲の評価で自分の価値を決めていないか?

あの人はよくやっている、たいしたものだ、と言われて初めて、自分に満足できるのだと思っていませんか?

あなたのおかげです、を言ってもらうことを望んでいませんか?

評価されたり感謝されないと、自分の存在価値がないような気がしていませんか?

あなたの親友のことを考えてみてください。心から親友だったら、能力があるから、出世しているから、役に立つから友達でいるのではないはず。

ただ、その人がそこにいるだけで、なんだかうれしくなる。その人がどこかで笑ったり泣いたり怒ったり、精一杯生きてると思うだけで、心があったかくなる。その人の存在が自分にとっては大切なのです。

…あなたも、自分自身の親友になりませんか?

ためしに毎日、1番の親友に声をかけるつもりで、自分に声をかけてみませんか。「やあ、今日も会えてうれしいよ」と。

○「私は自分が好きだ。私の価値は、自分が一番よく知っている」

 

「いい人」でいなくてはと思っていないか?

あの人にも、この人にも、喜んでもらおうとしていませんか?

○「私は、いい人を演じる必要はない、私は私だ」

 

自分を許しているか?

上手くいかないことがあると、「悪いのは自分」と責めていませんか?

いつも正しくて、完璧でなくてはいけないと思っていませんか?

失敗は許されないと思っていませんか?

常に努力あるのみと、自分のお尻をたたいていませんか?

反省と努力ばかりだと、自分をどんどん追いつめてしまいます。物事がうまくいかないからといってどんどん追いつめてしまいます。判断を誤ったからといって、自分を責めることはありません。今回の行動はまずかったかなと認めればいのです。そこから何かを学んで次に生かせばいいのです。

○「私は自分を責めたりしない。いつも、そのときにできる精一杯のことをやっているのだから」

 

支えあう仲間をもっているか?

よくやっているじゃないかと、言葉をかけあう相棒はいますか?

同じ立場で共感しあえる仲間はいますか?

アドバイスをもらえる先輩はいますか?

弱みを見せられる友達はいますか?

支え合う仲間がいると人生はずっと生きやすくなります。

○「私は1人ではない。沢山の人に支えられている」

 

気持ちを吐き出す場を持っているか?

悲しみや怒りや不安を感じるのはよくないことだと思ってませんか?

つらいことがあっても、じっと耐えていませんか?

弱音を吐いてはいけないと思っていませんか?

怒りを我慢して、誰かに八つ当たりすることはありませんか?

感情は自然にわいてくるもので、こう感じるのがただしいとか、そんなふうに感じるのはよくないとか、そんなことはないのです。

感じないふりをしたり、我慢したりすると、おしこめられた感情がたまっていきます。それが自分をうつうつと抑えつけたり、思ってもみない形で溢れ出したり…

マイナス感情は、自分や他人を傷つけない方法で、きちんと出してあげることです。

同じ立場の人たちの集まりや、批判や意見をはさまずじっと聞いてくれる相手のもとで、気持ちを吐き出しましょう。あるいはノートに書いてみることもできるでしょう。

何があったのか、どんな気持ちがしたのか、本当はどうしたかったのか、どうなって欲しかったのか…

感情は、きちんと表現することで、自分の扱えるサイズになります。その感情に傷つけられたり、振り回されたりしなくて住むのです。

○「私は、つらい感情をためこまない。誰かにきいてもらう」

 

楽しむことができるか?

公私の区別がなくなり、私生活まで仕事に占領されていませんか?休みをとったり、自分のために時間をとっていると、後ろめたい気分になったりしませんか?

自分のためにお金を使っていますか?

無邪気にあそぶことができますか?

人のことばかりに一生懸命になっているのではなく、自分のために時間とお金を使いましょう。

慣れないうちは、休んだり楽しんだりしていると、これでいいのかと焦りを感じたり、罪悪感を感じるかもしれません。でもこれは、自分を大切にする基本です。

大変な時にこそ、エネルギー補給が欠かせません。たとえ短くてもいいから、心がホッとできる時間、楽しめる時間を自分にプレゼントしてください

「私は自分が楽しむ時間を確保する。自分のために投資する」

 

手を抜くことができるか?

何もかも一生懸命やろうとしていませんか?

物事の優先順位がつけられなくなっていませんか?

急がなくていいことに焦ったり、早い方がいいことをズルズル引き延ばして気持ちの負担になったりしていませんか?

あれもこれも完璧にやろうとすると無理がでます。

自分の責任は果たしつつ上手に手を抜くのは、忙しくなりがちな立場の人に必要な技術です。

そのためには、今は何が優先か、判断しながらすすむこと。

力を節約して様子を見たほうがいいこともあります。

○「すべてのことに全力を注ぐ必要はない。私は、何をゆうせんするのかを自分で決められる」

 

断ることができるか?

頼みを断ったら、関係がまずくなると思っていませんか?

罪悪感から長々と言い訳をして、相手をうんざりさせてしまうことはありませんか?

できないと断ったはずが、相手のきげんを取ろうとズルズルと話を続けるうちに言いくるめられて、引き受けるはめになっていませんか?

手が空いていないときは、頼まれても「できない」と言っていいのです。人の要求すべてに応じなければいけない理由などありません。

○「やりたくないことは断ってもいい。決めるのは私」

 

セルフケアの手段をもっているか?

短い時間でもリラックスできる方法を身につけていますか?

気持ちが落ち込んだ時の健康的な対処法を持っていますか?

感情そのまま吐き出せる相手や、場所を持っていますか?

自分自身の身体的・精神的健康に目をむけていますか?

仕事を続けるためには、セルフケアが欠かせません。

瞑想、運動、緊張や混乱を感じた時は深呼吸、散歩、少しぬるめのの風呂に入浴剤を入れるなど

眠れないならば、リラクゼーションのための音楽を流したり、絵を書いたり文書を書いたり。

リラックスできる時間を作りましょう

 

最後に、著者の言葉より

何があっても、自分を責め続けないでください。なぜなら、あなたはいつも、そのときにできる最善のことをやってきたはずだからです。

それが結果的にうまくいかなかったり、悲劇を防げなかったとしても、そのときにはその方法しかとれなかったのです。

助言者が自分自身の喪失体験にきちんと向き合い、対処する方法を身につけることは、大きな力となります。

 

まとめ

この本を読んで感じたことは、やはり真面目でどこか自信がない状態から、断る事や、息の抜き方でさえ真面目で力の入りっぱなしな状態が続き、断れず、休憩をサボると思い込み、熱心にずっとフルスロットルの状態が引き起こすのかなと言う印象です。

本書のはじめに、にも記載されていますが

大切なのは、もえつきの「進行プロセス」を止めること

もえつきは、進行性の病です。

もえつきのプロセスが進むにつれて、破壊の落とし穴へはまっていく、とされています。

知らず知らずに進行し、気づいた時にはもえつきてしまった

この「もえつき」の病の特徴だとおもいます。

 

本書からの得られたことは

「もえつき」の進行や症状、特徴を知ることで未然に防ぐことができるという点

「もえつき」を知ることで、調整をしながら、そのことに継続ができるという改善点

「もえつき」を知ることで、周囲の人を思いやれると言う点かと思います。

同僚、家族、恋人、自分など、症状がみられた場合は優しい声をかけてあげることで相手や自分がもえつきる前に一呼吸おき、そのことにより効率よく集中して進むことができるのかなと思います。

 

私自信ももえつきることはよくあります。

これはやりすぎだな、がんばってるのになぜ?

など、自分では気づかない事が時々あります。

本書を読んで、思い返してみれば、あの時はもえつきだったんだなと納得する部分もありました。

 

今回、私のプライベートで起きたことで、今実際にもえつきの症状の状態なのかと思っています

 

自分の分析ではありますが

読書、ブログ、Twitter、作家の活動でのもえつきではないと思っています

 

以前のブログの「感情」と題して書いた内容からの触れた内容とはなりますが

 

愛する人に沢山のことを尽くしてきました

付き合いとしては4年結婚生活1年の計5年です。

ここに私としては全力で尽くしてきました

 

先が見えなくなり、私の気持ちを知りながら遠ざかる相手は、振らせにかかってきていることもわかっています

私自身が振られるほうがまだ納得もいくでしょう

 

愛がまだある中に、状況を読ませ、振らせる…

 

尽くし抜いた先に、大人としての選択肢に感情と真逆の行動はこんなにも辛いものかと思うほどです

 

それに、子供との生活、ご飯をつくり、洗濯、掃除、弁当に学校の行事、ももちろん仕事の影響も加わり…

 

ですが…

 

本書の「もえつき」を読んで思うこともあります

 

少し休もう…

 

自分をもう一度冷静に見直し

今の感情を今の自分でどう整理するのがベストなのか…

 

一つ知識として学習し進んでいる感情もあります

それは

「尽くす」です

この「尽くす」は一見、一途な様で押し付けになっていたことです。

 

「これだけ尽くしたのに…」

 

そう、見返りを意識してしまっていたのかもしれません…

全く意識していなかったのですが、やはり振り返ってみてみるとそうなのかもと思う部分があると思います。

 

「無償の愛」

 

見返り気にすることなく、その人に対して何かをしてあげたくなる

 

乗り越え中に

そのことに気づけた今

 

この先の自分の成長が少し楽しみになっているなと感じられる部分も若干見えてき出しました。

 

そのかわり割り切った心も必要だと…

 

受け取り方はその人次第

私は、どう受け取られようが、どう思われようが

自分が大切だと感じた相手には、沢山の心を込めた気持ちを優しく注ぐだけ

周りに何を言われても、自分が得たこの経験と知識は誰にも奪うことも否定することもできないから

自分を信じて進むだけだ

 

わかる人にだけ分かってもらえればそれでいい

 

そう感じています

 

 

長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

もうしばらく整理が必要ですので

ゆるく見守っていただければ幸いです。

 

どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。