家族の距離感

どうも

心理学勉強中のノブです

 

家族…

 

わたしにとっての家族とはなんだろう…

 

 

幼い時に思い出すこと

幼稚園の時の記憶が今も残っている

それは褒められた時、記憶の映像が時々流れ始める

 

「今日はつくし組が玄関の掃除当番だ!」

ほうきとちりとり

それぞれが小さな手でとり始まる

細かなホコリまで取る

私は夢中になる

そんなときの映像だ

突然先生が後ろから

「ノブくんすごいね!そこまで取る人は見たことがないよ!すごいよ!」

そんな言葉だった気がする

ハッキリ覚えているのは言葉よりも感覚だ

 

私が感覚に敏感になり始めるのが小学校の時

なんとなく過ごしながら嫌なことを言われてもそれが嫌味とか嫌がらせとは気づかないほどの当たり前に過ごすのが日常だった

突然きがついたのは小学校5年生の時だった

それまで、思い返せば嫌な言葉が日常で浴びせられている生活が普通で、この家おかしいから逃げないと!なんて気持ちにも、自分の置かれている環境が変だなんてその当時は気づく訳もなく

ただただ来る日常を過ごす

殴られるのが毎日だったらその子は何処の家もそうなんだろうと、そんなことすら考えない思いもしない状況が続くのが想像できるだろう

 

5年になると行事で学年全員で合宿が必ずある

それまで友達の家にも泊まりに行くことが許されたことがない

はじめての泊まりだしかも友達みんなで!

ワクワクしながら合宿に向けて提出物を出す時だった

小学校に保険証を提出

小5の私に衝撃が走る

保険証をよくよくみると

自分の誕生日が1日違っていた…

「ん?22日なのか?…23日じゃなくて22に…」

 

3年生の夜、親が死ぬことを何度も想像して夜中、弟に見えないように布団の中で泣きまくっていた

勝手に想像が出てきてしまう

お父さんが死んだら寂しい

お母さんが死んだら嫌だ

涙が止まらなくて、何度も何度も

まだ大きな病気すらしたことのない親なのに小3の自分にとっては恐怖と大きな不安で襲われてた大問題だった

泣いてないよ!と聞かれてもいないのに弟に言い訳し出している自分、強がりだけは一人前だ

 

そんな感情もどこか違った意味で寂しくなり始めていた、誕生日が違うと知ったことで疑問に感じ始める

5年生の合宿でクラス全員で大浴場に入る

枕投げをして先生に怒られるも先生も巻きこみ枕投げが加速する

始めて握った1500円の大金のおこずかい

家族に、お土産を買って自分のお土産はキーホルダーひとつ

見なんで楽しく過ごした一泊二日もあっという間に終わる

バスから降りて急いでお土産と、土産話を家族にしたくて急ぎ足になる

帰宅し弟、妹、親へ嬉しい気持ちで話し出そうとしたそんな時

親が発した言葉が

 

「勉強して早く寝ろ!」…

 

自分の中でなにかが崩れた瞬間だった

この家何かがおかしくないか…

 

意味もなく想像からくる不安で泣いていた小3の自分

 

誕生日が1日違って過ごしてきた小5の自分

 

その時瞬時に思い返した、なにかあれば殴られる、少し違えば怒鳴られる

これ毎日がおかしくないか?と

そこからだろうか恐らく反抗期になったのは

 

親がいなくなる恐怖が消え寂しいという感情がなくなり憎しみに変化した自分がいた

 

いつも当たり前に殴られる瞬間「なんで言うこと聞かない!」

小さな身体は必死に大きな手を弾こうとする

「殴るからやろ!」

始めて言った小5なりの大きな声と反抗の言葉は衝撃だったのか、黙ってその場を離れていった

 

それからも色々あった

大人なった私

 

金銭感覚が分からなくなり私は親にお金を借りるほどになっていた

反抗する自分と甘える自分

バカな存在となって大人になっていった

 

そんな自分も親となり離婚を2回経験し今に至る

 

親からは小学校の時に過ごした時を思うと一切学ぶことができない

そう思っていた

親は不器用だったのだと今になっては理解できる

 

少し前のブログにも書いたがここでも書いてしまおう

気持ちを整理したくて

自分なりに人や読書から学んだ知識と自分の感情を合わせ時間を掛けて整理した

誕生日の間違え、殴られる、全ての会話発言の否定

それも全てひっくるめて、許せはしないけども

自分から謝りに行った

だがここでは、すごいだろ?立派だろ?と披露したいわけではない

これまで親にお金を借りたと言う事実がある

生活の為とはいえ迷惑をかけていた時期がある

今思えば、小学校5年の時の親の年齢を私はもう超えてしまっている

今、あの時の記憶の親は年下だ

そんな記憶の中の親が年下になった今、大きく一歩進めばいい

そう感じる

 

Twitterでお付き合いがある福本さん

この方のお父様が先日旅立たれ、ラインでご報告頂いた時、涙が止まらなった

福本さんに始めて東京目黒でお会いし、福本さんの人生の深いお話を聞かせて頂けた矢先だった

あんなに親切に楽しく話して頂けていた

福本さんのその時の姿からは想像できない

なにか感じるものが私にあった

福本さんは子育てが楽しいと熱く語ってくれる

反抗期のことや、様々な挑戦など

子供との向き合い方が今、楽しくてしょうがないと

そなお話からも親との距離感がやはり気になっていた

 

家族の距離とは…

 

 

この方もTwitterで知り合って何度かお会いしている無敵の母さん

子供がイジメにあって引っ越しした体験をしている

その時の乗り越え方やどんな感情になって子供と乗り越えたのか、その想いはとても強く熱い

年齢は公言しているので大丈夫だがあえててここでは伝えないでおこう

お母さんの年代でYouTubeを使ってなにかを伝えるって相当なことだと思う

それ程世に広めたいものが心の奥にあって助けてあげたいと強く願って行動している

 

この方もそうですTwitterでいつも注目頂きシングルマザーで頑張られている りかさん

訪問リハをされているのですが訪問先のセクハラ問題に運営側が対応せず放置状態

頑張って訴えるも真剣にむきあわない環境を何とかしたいと強く思われ、3月で退職される決意を

ここからは詳しくお伝えできないのですが

りかさんとも一度お会いさせて頂き、お仕事の事

お子様のことをお話させていただきました

Twitterでのやりとりも深くあり、いい刺激を頂けていただけにお会いできることになった時はかなり嬉しくてしかたありませんでした

お子様のことも熱く語られ感じることがやはり家族の距離感

りかさんはお子様とのお時間を大切にされていて

役職のオファーがあるも時間を取られてしまうことから断るほどのお子様思い

そんな素敵な親の感情の話をうけた私は

親との距離感が変化し始める自分がいました

 

親にあたる立場の方々は他にもおられて後ほどのご紹介になりますが

人に会い、こうした方々からお話を聞かせていただくと、親にたいしての考え方が変化してくる

 

毎日3ついいこと日記をつけている

5年間書ける日記だ

今年1月1日から書き始めている

これは人のことを思いやれる力が強くなる

優しい感情が強化できる習慣なのだ

どんな小さなことでもいい

いいことを3つ書くポジティブ日記

 

人から学びたいと言う姿勢と

Twitterで素晴らしいと思った方々から学べること

皆様のお子様愛を聞いていて感じること

Twitterで素晴らしい方々のツイートから感じられること

読書からの学びがあること

 

こうしたことから親への距離感が近くなり始めている

 

実は、後輩の親に今度会いに行くことになった

詳しくは後ほどのブログに書きたいと思う

なぜ?そうなるのか?

 

考えて欲しい

会社の後輩の親に会いに行く心境を想像してみて欲しい

ここでは話さないが、これも学びからそうなった流れだ

 

親と自分との距離は

近くなる

 

子供と自分の距離は

近いけどもこれからなところもある

 

親の立場

子の立場

それぞれが学びになれば

学ぶ姿勢になればよりいい関係になれるのではないだろうか?

 

私が小さな時の親は毒親と言われる部類に入るのだと思う

私より酷い扱いをうけた人は山ほどいると思う

そんな親をかばう訳ではないけども

子供が気づけ乗り越えた時は誰よりも成長できるのではないだろうか

 

今の私にはそう思える

 

 

 

最後に一言

 

これからの企画活動はこうした方々の背中を押させていただく企画

元々、持っている素晴らしい活動を私の企画と組み合わせ広める、そんな活動をしますのでどんなものになるのか楽しみにしていてください

様々な悩み解決に取り組まれている方が非常に多いので是非お声かけ下さい

 

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